強さも弱さもなく、普通も異常もなく。
残酷だなぁ…と思う。
私たちが学んできた場当たり的な生き方も、
私たちが、どこか忌まわしいとさえされる世界を生きていると思われてしまうことも。
「弱さを見せられる人は強い」とかさ、
その言葉通りに、弱さを開示してヘルプを求めたら、困ったような、どこか面倒くさそうな顔をする人はたくさんいるのに。
そもそも、
「強さ」って何?
「弱さ」って何?
「強い」って何だろうね
我慢する力?耐える力?やり抜く力?
「弱い」って何だろうね
逃げること?諦めること?上手く出来ないこと?
もう、よくわからないよね…
普通って何だろうね。
異常(狂ってるの意)って何だろうね。
私にとっては、複数の病気の治療のために、
毎日服薬して定期的に通院するのも、アレルギーや喘息があるから毎年この時期はコロナ禍の前からマスクをするのも、養育不全の家庭から、一時保護されて施設で暮らした経験も、目が悪いのも、成績が悪いのも、読書が好きなのも、
いなり寿司が大好きなのも、ぜーんぶ、普通のこと。
でも、誰かにとっては、「若いのに病気が多くて大変だね」と感じることかもしれないし、
「精神疾患は気合が足りんだけだ!」と喝を入れたくなることかもしれない。
「子どものときに親と暮らしていなかっただなんて、『あり得ない』、『想像がつかない』」と思うことかもしれない。
「目が悪いのは、今の子どもはスマホばかりだから…」となるかもしれないし、「成績や学歴は人生の全てだ!」と思われる方も居られるかもしれない。
読書に縁がないけど「イラストを描くのが好き」という同年代もいるし、「いなり寿司好きなん!?渋っ!」って驚く同年代もいるかもしれない。
自分が反対の立場になることもあるだろう。
結局のところ、
マジョリティもマイノリティもなく、
普通も、狂ってるも、明確な線引きは出来ず、
みんなどこかは、マジョリティで、
マイノリティ。
みんなそれぞれの「普通」を抱えて日々を生きていて、
でも誰かの「普通」は他の誰かから見たら、
「異常」なのかもしれない。
逆も然りだろう。
私たちはどこか残酷さを伴う日々を普通に生きている。残酷さを伴う日々が普通なんだよ。
相手が児童虐待に対応している専門職でも、
通じ合えない瞬間はある。むしろ、たくさんある。
「親を家族を敬えない」私たちは、
「自分を傷つけたり自己破壊的な行動を取る」
私たちは、
「親から虐待を受けた」とういう事実を語り、
助けを求めた私たちは、
狂っていると思われてしまうのかもしれない。
でもそれが普通なんだ。
「そんな話聞きたくないよ」という顔をされても、
「そんな…でもまた親御さんと分かり合える日が…」と言われても、
「許してあげて」と言われても、
そう言葉をかけてきた方々からは、見たくない、忌まわしい世界であっても、
私たちは普通なんだ。
人の数だけあるのが普通。
「ふつう」という言葉が、
「普通」と「異常」を分けて、世界に線を引いて、誰かを排除するための言葉になるなら、
そんな言葉は消えてなくなれ…
そう思いながら日々を生きてるところ。