こんなんでもいっか。

今までのはちゃめちゃな人生を通して、今、思うこと。

ひとりぼっちと思ってもいい。

「あなただけじゃないから大丈夫」

「あなたはひとりじゃないよ」

 

などと何度も言葉をかけてくれる人がいた。

 

その時、「この人は暖かい人だな」と思える人も

勿論いた。

 

でも、その言葉の受け取り方がわからなかった。

 

「ひとりじゃない」のに、

時間が経つとともにやっぱり、

 

「私はひとりぼっちだ」と感じてしまう。

 

 

そんな自分が嫌いだった。

 

 

でも、今なら、

 

 

「ひとりぼっち」だと思ってもいい。

 

「ひとりぼっちになりたくない」と泣いてもいい。

 

「この人は暖かいなー」と思う人が私は好きだ。

 

「〇〇さんのこと、頼ってみたい」と地道に信頼関係を築いてくれた人が私は好きだし、

上手く言葉にしきれないけど、色んなことを伝えたい。

そういう人たちと一緒にいたい。

 

 

そう思う自分を許せることが増えた。

 

 

「助けて」と手を差し出すことも、

差し伸べてくれた手を握り返すことも、

一度握り返した手を放すことも、

差し伸べてきた手を断ることも、

握り返した手を、おっかなびっくり、

握って放してを繰り返しながら、

少しずつ握る力を込めることも、

握った手から誰かの手に繋がれていくことも。

 

そして、いつか誰かに手を差し伸べることも。

勇気を振り絞って握り返してくれたその手を

また他の誰かの手に繋いでいくことも、

手を握り返してくれるのを待つことも、

私では握り返せないとしたら、

他の誰かの手を探し紹介することも、

その手を繋ぐことは出来なくても、

何がその時の自分に出来るかを考えることも。

 

 

人を信じるか信じないかは、

私が決める。

 

どんな人になりたいか、

それは私が日々を生きながら自分の頭で考える。

 

ひとりぼっちでも、いい。

寄り添おうとしてくれる人の言葉を上手く受け取れなくてもいい。

 

そう思えるまで長い時間がかかった。

何人かの人が「るあさんの気持ちはどれも間違いじゃない」って、

「どんな気持ちも受け取り方も大丈夫だからね」と変わらず伝えてくれたから、

そう思えた。

 

何が正しいか何が間違ってるかなんて、

人の数だけ正解があると思う。

 

今の私は、

誰かがいるか、居ないかに関わらず、

「私はひとりぼっちだ」と思う自分も、

 

「〇〇さんと一緒に居ると安心する」と思う

自分も、

 

どちらも私だと思うことにしてるし、

OK(許可)してる。

 

また生きてみよう。

 

明日を、明後日を。