ちゃんと、向き合うから。
- まえがき
- 私の障害受容についてのエピソード(激しく揺れています)
- 最後に伝えたいこと
- 最後の最後に
私が始めて「あなたには、精神障害があります」と言われたのは、小学校高学年の時で。
正直に言うと当時は、「障害」という言葉に少しも偏見がなかった訳ではなくて。自分には生涯、無縁なもの、無縁でありたいものと思っていた節があった。
この文章から悲しい思い・辛い思いをさせてしまいましたら、本当に申し訳ありません。小学校高学年の時からの気持ちを振り返って書かせていただいております。以下これからの気持ちの変化を書き記して行きますが、「これ以上読むのは辛い」と思われましたら、戻るボタンを押していただけますと助かります。
(当時告知された障害名は解離性運動障害の
一種です。)
初めての障害(病名)告知は、小児科の先生が
わかりやすい言葉でしてくれた。
総合病院の小児科で初診から身体の精密検査まで診てくれたB先生が、
「るあちゃん。るあちゃんには〇〇障害っていうのがあってね、それは、身体は元気で問題はないんだけど、きっと辛い思いをしたのかな?それで気持ちがしんどくなったのが、身体の症状として出ているの。ここの小児科には、るあちゃんみたいに辛い思いをしている子を診てくれる先生もいるんだ。だから今度その先生のことを紹介するから会ってくれるかな?」と。
こんなんで、障害告知なんて大袈裟なのかもしれない。
でも、でも
まだ今より小さかった私にとって、
それは充分に重たいものだった。
「障害」
それは、今まで自分には関係ないと避けていた言葉だったけど、
その瞬間、
「障害」という言葉を受け止められるのは
私しかいない
私が一人で全て受け止める。
と思考をかなりのスピードで切り替えた。
当時はまだ親元で暮らしていたが、
両親は「障害」という言葉を忌み嫌うような人たちで、
あの人たちが絶対受け止めることではない、目を背けるであろう、否定するであろう。
と瞬時に悟った。
(外面だけは良い人たちだったので病院には付き添いに来ていたが)
そしてこの悟りは正しかった
そこから、もう何度か障害告知と呼ばれるものを受けた訳で。
診断名が多いのは、誤診も多かったり、家庭内の環境が危険なのを見過ごされ続けたのもあった。
障害名を告知される度に、
「あー、そうだろうな」という納得した気持ちと同じ程、支えてくれる味方が誰もいないという強烈な心細さに苛まれたことも忘れられない。
その中で、
「私は、自分の障害から目を逸らさない。ちゃんと自分で受け止める。向き合う」という気持ちは何が何でも持ち続けていた。
「ちゃんと自分で受け止める。向き合う。」という強い気持ちの"原点"は、
恐らく、何でもかんでも人のせいにして、人任せな両親を反面教師にして、
心の中で心底全力で抵抗し、
私はあなたたちと違う
と証明したいという「怒り」だったのかもしれない。
障害受容という言葉がある。
何度か障害名を告知された中で、決して簡単なことではないと痛感するようになった。
「言うは易し、行うは難し」がという言葉がまさにぴったりで。
障害の状態は年齢や環境と共に変わっていくからこそ、障害受容は生きている限り続く。
受容というと、もはや難しすぎると思うようになった。
「しょうがないや」と
"折り合いをつけていく"のかな、と私自身は感じるようになった。
目を逸らさず、逃げたくなっても向き合おうと
していくこと、向き合おうとし続けること、それ自体が何よりも大切だな、
と、今は思う。
ここまで長くなってしまいましたが、
お読み下さって本当にありがとうございます。
拙い文章かつ、苛烈な言葉もある中で読み進めて下さった方には感謝の気持ちでいっぱいです。
最後に伝えさせて下さい。
(以下に書いて行きます、
"ご自身にとって大切な方"は家族に限りません。虐待やDVなど家族の関係の中で傷つくなど、私の過去のように例外的な場合も勿論ありますので。)
障害を有する方と関わる全ての皆様へ
医療機関として、福祉機関や教育機関として、
身体障害・知的障害・精神障害を有する方々と関わる機会が多くあると思います。
病院の先生として、看護師さんとして、福祉機関の職員さんとして、学校の先生としては、もしかすると、何度も出会ってきた〇〇障害の子(人)の一人に過ぎないかもしれません。
病院の先生であれば障害名を告知をすることは、日々の診察の中でも少なくはないのかもしれません。
でも、当事者として、障害告知は何度受けても、自分の人生が大きく変わる程の経験になりましたし、自分という大きな枠組みの中の一要素としての〇〇障害にはなりますが、やはり大きな衝撃を伴うことです。
私にはまだパートナーも子どももいません。
でも、ご自身にとって大切な方の障害告知を受けたら凄まじい衝撃を受けることは痛い程、想像出来ます。
医療機関の方々へ
"障害(診断)名"を告知される側の
揺れを軽視しないで下さい。
当事者として告知後、数カ月の間に死にたくなったことも何度かあります。それだけ大きなことです。
ご自身が障害告知を受けたのではなくても、
ご自身が日々必死に向き合われている大切な方が障害告知を受けたのであれば、その時に苦しくない方はいないのではと思います。
障害告知までもとても苦しい日々を歩まれてきたと思います。
告知を受けた側は、
当事者として自分のこれからの人生に、
ご自身にとって大切な方とのこれからの人生に、
必死に向き合っていくことになります。
学校は、仕事は、これからどうすればいいの?
偏見の目で見られるのが怖い。
色んな気持ちになるのでは、と思います。
決して軽微な衝撃ではないはずです。
福祉機関の方へ
「あー〇〇障害の人にはデイケアとかあるよ?みんな行ってるし行ってみなよー」
私は障害を有する、"一人の人"です。
心を持った一人の人です。
障害の有無に関係なく、どんな人も心を持った
一人の人です。
〇〇障害だから
ではなく、
同じ障害でも特性は人それぞれです。
〇〇障害だから□□な人生を歩むのではありません。
私だから、今自分の人生を歩み始めています。
〇〇障害の人は△△が向いているはずだ、
と決めつけないで下さい。
(デイケアが悪いと言う訳ではなく、障害の状態や体調によって人それぞれ向き不向きがあります。デイケアでの活動が向く方もいらっしゃれば、向かない方もいらっしゃると思います。
またデイケアであれば、利用の可否は主治医の判断によるものになります。)
最後の最後に
月日とともに変わっていく障害と折り合いをつけながら、自分の人生を歩んでいく日々を続けていく。
決していつも明るくなくていい。
いつか、「わたしは、どんな時もひとりじゃない」と感じられればいい。
今もどこかで、誰かの真摯な姿が、
震えながらうずくまっている誰かの心と身体を抱き締め、暖めてくれていますように。